妻が息子を連れて実家へ帰った。
とはいえ喧嘩したわけでも自分が何かやらかしたわけでもない。ただ孫の顔を見せに行っただけだ。2泊3日のお泊まりである。
久々に1人きりになった自宅は、妙に広く感じて不思議な気持ちになる。ひとり暮らし気分を味わえるかと思いきや、そうはいかなかった。1人なのに息子いる前提での行動をしてしまうのだ。
例えばドアのロックについて。
息子は家中を探索することが好きだ。少し目を離した隙に鍵が付いていない別の部屋のドアを開け、親の目を盗んでイタズラをする。洗面台下の扉を開いて中に入ったり、トイレに侵入しトイレットペーパーを引っ張って無駄に出したりと。
そのため各部屋のドアにはドアストッパーを取り付けており、部屋を出た後は必ずストッパーをかけるようにしている。ドアが開かなくて息子がブチギレるデメリットはあるものの、息子の侵入は確実に防げる便利グッズだ。

だが息子がいない時はストッパーをかける必要はない。隠れてイタズラをする人間は、この家には息子しか住んでいないのだから。
それなのに妻と息子がいない日もストッパーをかけてしまう。ストッパーをかけてから「今日はやらなくて良かったんだ」と気づく。
ベビーゲートもそうだ。息子がキッチンに侵入したり階段を上ることを防ぐために設置をしていて、ゲートを通る都度に閉めて鍵をかけている。だが息子が家に居ない時はやる必要がない。1人の時にゲートを閉めても、自分が廊下を通る時に邪魔くさく感じるだけだ。
それなのに妻と息子がいない日もベビーゲートをしっかりと閉める。閉めてから「今日はやらなくてよかったんだ。邪魔くさくな」と気づく。
その行動は自分の身体に息子の存在が染み込んでいるからこそのものだと思った。改めて家族と一緒に暮らしているのだと実感する。一緒に生活している人に、ほんの少しだけの優しさと思いやりを自然と持ってしまうことが、大切な人と生活するということなのだろう。それが染み付いてしまっているから、1人の時も家族といる時と同じように、家族を思いやる行動をしてしまうのだ。
それなのに自分は家に帰ってきても玄関の鍵を締め忘れることが多い。早く息子の顔を見たい一心で忘れてしまうのだが、妻にはそんな言い訳は通用しない。毎日のように「早く鍵を閉めてこい!」と妻に怒られている。よくよく考えたらドアストッパーやベビーゲートを閉め忘れるよりもずっと危ないことなのだから、怒られることは当然だ。
妻と息子が居ない1人だけの日も同じように、自分は外出から帰ってきた時に玄関の鍵を閉め忘れてリビングに入ってしまった。
「またやってしまった!」と気づき「怒られる前に閉めなければ」と心の中で思いながら、 慌てて玄関へ戻る。 妻が家に居ない日だから怒られるはずがないのに、なぜか怒っている妻が脳裏に浮かぶ。閉める必要がなかったベビーゲートはしっかりと閉めていたというのに、なぜ1人の時も閉める必要がかる玄関の鍵のことは忘れてしまうのだろう。
これは自分の身体には息子だけでなく、妻の存在も染み込んでいるからだ。そうでなければ1人の時に玄関の鍵を閉め忘れたからと、妻の顔を思い浮かぶことはない。もしかしたら「鍵を閉め忘れても妻に教えて貰える」という、妻への甘えがあるのかもしれない。改めて家族と一緒に暮らしているのだと実感する。
そんなことを考えながら、1人っきりの自宅の玄関の鍵を閉めた。1人の時も家族といる時も、玄関の鍵はきちんと締めなければ。
ちなみに妻からのLINEによると、息子は祖父母の家で洗濯カゴをひっくり返し、その上で寝転がる遊びを楽しんでいたらしい。
