『成瀬は天下を取りにいく』という小説は名作だと思う。シリーズの累計発行部数が100万部を超えたたことも納得の面白さだ。登場人物はみんな個性的で魅力的だし、文章は読みやすいから内容がスッと頭に入ってくる。
自分が特に好きなエピソードは『ありがとう西武大津店』だ。閉店が決まった西武大津店へ閉店する当日まで、主人公の成瀬が西武ライオンズのユニフォームを着て毎日店舗へ通い、店舗から生中継される地元テレビ局の情報番組に映り込み続ける話である。
成瀬の行動により西武大津店が地域住民に愛されていたことがまじまじと伝わってくることが切なくて、それと同時に心が温かくなった。普段意識していない日常に溶け込んだ場所だったとしても、むしろ日常に溶け込んだ場所だからこそ、大切に思える場所になるんだなあと。
そんな素敵な物語を読んでから、実際にショッピングセンターや百貨店が閉店するニュースを知ると、切なさを感じるようになった。
2024年9月。イトーヨーカドー津田沼店が閉店した。自分の母が大学生の頃に津田沼で一人暮らしをしていたらしく、よく通っていたそうだ。もう40年ほど前の話ではあるが、当時はまだ開店して数年しか経っておらず、ナウなヤングが集まる場所だったらしい。
自分が大学生になり一人暮らしが決まった時、一人暮らし用の布団をイトーヨーカドー津田沼店で買った。自分は津田沼に住むわけではなかったので、母と一緒に大きな布団を抱えて電車移動で持ち運んだ。自分は最寄駅の店で買った方が楽だったよなあと思いながら電車に乗っていた。
でも母にとってはイトーヨーカドー津田沼店は大切な場所だから、久々に行きたくなったのだと思う。かつては自分のために買い物をしていた場所で、我が子のための買い物をしたかったのかもしれない。
最近のイトーヨーカドーは閉店店舗が続出しているようで、津田沼店の後を追うようにイトーヨーカドー春日部店が2024年11月に閉店した。クレヨンしんちゃんに登場するスーパーマーケット『サトーココノカドー』のモデルになった店舗であり、地元民以外にも愛されている店舗だった。我が家からも最も近い場所にあるイトーヨーカドーでもあった。
イトーヨーカドー春日部店5階のサイゼリヤでの食事は、自分が一生忘れられない大切な思い出になっている。ここにあったサイゼリヤは、初めて息子が外食をした場所だからだ。
息子はポテトとフォッカチオが気に入ったらしく、もりもりと食べながら『ウマ!ウマ!』と言っていた。食べ飽きて隣の席へと歩いて行こうとする息子を止めたりと、親は食事中も気を抜くことはできなかった。小さな子どもと外食をすることは、想像していたよりもしんどいんだなと思った。でも息子を含む家族全員で食事をすることは、とても楽しくて幸せなことだとも思った。
帰りにサイゼリヤの前にあった本屋で息子のために本を買った。音が出るおもちゃがくっついた本だ。
本に付属するおもちゃの見本が置いてあったので、息子に遊ばせてみた。息子はいたく気に入った様子で、見本を手から離さなくなった。「見本だから返すよ」と言って取り上げると、イトーヨーカドーの5階全体に響き渡る爆音で号泣した。だから買わざるを得なくなった。購入した本を手渡したら、すぐに機嫌が直りニコニコになった。息子の笑顔を見て「買って良かったな」と思った。

その本は今でも家にあって、今でも息子は気が向いた時に遊んでいる。遊びすぎて本のページはボロボロになってしまった。
今の息子はピアノで音を出したりと、もっと複雑な音が出るおもちゃを気に入っている。息子が初めてイトーヨーカドー春日部店へ行った日から比べると、だいぶ成長したのかもしれない。
久々にイトーヨーカドー春日部店があった場所の前を通った。看板も撤去されてしまい、入り口も封鎖され、窓ガラスには白い幕が張られていた。人通りも少なくなってしまい、一抹の寂しさを感じる。

まだ跡地に何が建つかは決まっていないらしいが、そのうち建物が取り壊されたり、新しい別の看板が掲示されたりと、全く違う場所になると思う。きっとイトーヨーカドー春日部店がここにあったことを忘れてしまう人や、存在自体を知らない人も増えてくるだろう。自分だって意識して思い出そうとはしない。
でも息子がおもちゃが付いた本で遊ぶ都度に、自分は「イトーヨーカドー春日部店で買ったな」と思い出すだろう。サイゼリヤへ行く都度に「息子が初めて行った外食はサイゼリヤで、イトーヨーカドー春日部店の5階にあったよな」と思い出すはずだ。息子が将来『クレヨンしんちゃん』を好きになったとしたら「あそこにサトーココノカドーのモデルになったお店があったんだよ」と悠々と紹介すると思う。
忘れてしまったとしても、思い出すきっかけはたくさんある。形がなくなったとしても、記憶として残り続ける場合がある。

そんなことを音が出るおもちゃの本で遊ぶ息子を見て想う。息子の遊ぶ本の中に、イトーヨーカドー春日部店は残り続けている。
