息子の警戒心が高まっている。
先日、妻の実家へ行った時のことだ。息子は久々に会った祖父母に対し、人見知りをしていた。照れくさそうな顔して、祖父母に近づこうとしない。親から離れた場所に立たせてみても、すぐ父親の膝の上に座ろうして戻ってくる。自宅に居る時はひたすらに歩き回ったり、おもちゃで遊んだりしているのに。
どうやら久々に来た祖父母と見慣れない住居に怯えていたようだ。
数ヶ月前までの息子はどんな状況でも、興味の赴くまま自由に行動し挑戦していた。なりふり構わないので、時には危ない目にあうこともあった。その結果失敗して泣くことも少なくはない。
そんな挑戦を繰り返し学んだのだろう。「少しは警戒して行動した方が良いのでは?」と思ったのかもしれない。怯えながらも周囲を観察して「この場所とこの人は安心だ」と察したのか、いつもと同じように部屋を歩き回り、祖父母にも近づいていった。
妻の実家には庭がある。最近の息子は運動が大好きだ。家や公園では歩き回るし、保育園でも暴れ回っているらしい。きっと広い庭も好きなはずだ。そう思って靴を履かせて庭に立たせてみたのだが、どうもいつものようには歩かない。やはり警戒した様子で怯えている。
庭の土は柔らかい。彼が普段歩く自宅のリビングや保育園の床とは、足で踏んだ時の感覚は違う。その違和感に怯えているのだろう。「ここは歩いても大丈夫なのかな?」と。
だからか父親の手をギュッと握って慎重にゆっくり歩く。いつもは親の手を振り解いて、走るような速度で歩くのに。
庭に生えている草木にも怯えていた。「これ以上は近づけない」とでも言いたがな感じで、少しだけ後退りして父親の太ももに抱きついてくる。かわいい。そしてしばらく観察し、大丈夫だと判断してからまた歩き出す。
そういえば節分の日は保育園で、豆まきをしたらしい。保育園の先生が鬼のお面を被り、それに向けて園児たちが豆を巻くイベントだ。
息子は初めて見た鬼に怯えていたそうだ。鬼が近づくと別の先生の足にしがみついて離れなかったと、保育園の連絡ノートに書いてあった。おそらく少し前の息子だったら、怖がらず「なんかよくわかんない初めて見たもの」ぐらいの感覚で鬼に接していたと思う。
怖いもの知らずで飛び込んで挑戦することも大切ではある。だが警戒し怯えながらもきちんと確認し行動に移すことも、人生においては大切だ。挑戦し成功を掴むためには、ケースバイケースで行動指針を変えるべきである。息子は「警戒し観察してから挑戦する」という新たな挑戦手法を学んだ。これは彼の人生において、これからもきっと役立つだろう。
そして今まで以上に“身近な人に頼る”と言うことを行動で示すようになった。
歩くのが怖い場所があれば親と手をつなぎ、鬼が怖ければ保育園の先生に抱きつく。警戒すべき物事や人を意識するようになったことと同じように、心を許しても良い場所や人もわかるようになった。そんな息子を見て、少しだけ大人に近づいているのだと実感する。
怖いものが増えることは、退化ではなく成長だ。学びを得たということだ。彼はこれからもたくさんのことに怯え、たくさんの学びを得るのだろう。