この子の未来にただラブソングを

むらたかもめの子育てブログ

息子が「パパ」と呼ぶようになった

待望の出来事があった。息子がついに「パパ」という言葉の意味を覚えたのだ。

 

ここ2ヶ月ほどは「パパ」と声に出せるようにはなっていた。だが意味は理解していないようで、おやつのパンを見て「パパ!」と叫び、パンを食べながら「パパ......」と囁いていた。パパ=美味しい食べ物と認識していたのだ。

 

それがここ最近は仕事から帰ってきて玄関を開けると、こちらを指差して「パパ!」と呼んでくる。両手を上げてバンザイし、手をグーパーと開いたり閉じたりを繰り返し「パパ!パパ!」と連呼して抱っこを求めてくる。

 

パンのことも「パン」と呼ぶようになった。パンの袋を見るだけで「パン!」と叫び、パンを手に持ち「パン」と言って、パンを食べながら「パン......」と呟く。パンのことを「パン」と呼ぶことも覚えたようだ。

 

先月保育園でひな祭りのイベントをやったらしい。保育士の先生が作ってくれた内裏雛の顔に、息子はペンで目を描いたという。

 

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それを見て驚いた。きちんと人間の顔になっていたからだ。人間の目があるべき位置に、目だとわかる形を描いている。この間まではペンを渡しても、ぐちゃぐちゃに黒く塗り潰すだけだったのに。

 

どうやら息子は「人間には顔がある」ということを理解したようだ。そうでなければ内裏雛に目を書くことはできない。だから父の顔も覚えて、父は食べ物ではないことを理解したのだろう。

 

そに加えて「人間にも種類がある」ことも理解しているように見える。こちらを見て「パパ」と言うようになったし、妻を指差して「ママ」と呼ぶことも増えたからだ。少なくとも「パパ」と呼ぶべき人間と「ママ」と呼ぶべき人間がいることを理解したらしい。

 

少しずつ息子は言葉の持つ意味や、その言葉の対象が何なのかを理解して始めているが、少しだけ勘違いして理解している節もある。

 

よくよく思い返すと「パパ」とこちらを指差して呼ぶ時は、抱っこして欲しい時や膝に座らせて欲しい時だ。それらを求めていない時は目が合っても「パパ」とは呼んでくれない。

 

「ママ」と呼ぶ時は食べ終えた食器を片付けて欲しい時や、遊び飽きたおもちゃを受け取って欲しい時。それ以外の時は「ママ」と呼ぶことはない。

 

息子にとって両親の役割はそれぞれ違うという認識で、自身の欲望の種類によってどちらを呼ぶか決めているようだ。これは少しマズイ。人は属性によって役割が決まっているわけではないし、家族といえども都合よく役割を与えてはならないのだから。まだ一歳なのでそれが理解できないことは当然で仕方がないが、今のうちから少しずつそれを教えなければ。

 

でも「パパ!」と呼びながら指差してきて抱っこを求められたら、否が応でも抱っこをしてしまう。かわいいのだから仕方がない。「これが許されるのはお前が一歳だからな!」と心の中で呟きつつ、息子に与えられた役割を今日も父は果たしている。

 

とりあえずはパンのことを「パパ」と呼ばなくなったのだから、しばらくは息子の成長を見守りつつ、大目に見よう。