この子の未来にただラブソングを

むらたかもめの子育てブログ

息子が産まれて2ヶ月が経った

1月10日。息子が産まれてから2ヶ月が経過した。

 

産まれてから1ヶ月半ほどは、なぜか家に居ても心が落ち着かなかった。部屋の模様替えをした後に近い気持ちである。自分の居場所であることは間違いないのだが、その居場所が今までと全く違う景色になった気がして、違和感を覚えてしまった。

 

それは子どもが産まれたことが理由だ。同棲の期間も含めると、妻と2人で暮らした期間は約10年ほどである。それだけ同じ暮らしをしていると、自分と妻だけが家に居る空間が、自分にとっての「当たり前」になってしまう。その「当たり前」に心地良さや安心感を持っていた。

 

そんな「当たり前」を息子は根本から変えてしまった。「当たり前」が変わることは、思いのほか心に負担がある。

 

妻と2人だけの時間はなくなったし、自分ひとりの時間もなかなか取れない。生活リズムも、生活の中心になる物事も 、全てが息子中心になった。それは約10年間続いた「当たり前」をぶち壊すイレギュラーなものだ。

 

かといって決して息子に対する愛情がないわけではない。かわいいと思うし大切に思っている。産まれてきてくれたことが。心の底から嬉しいし、心の底から感謝している。

 

3人家族になってから幸せとモヤモヤが混ざった生活を続けていたが、この生活が2ヶ月間続いたことで、自分にとっての約10年続いた「当たり前」がようやく変化した。

 

今では仕事から帰宅して息子の顔を見ても不思議な気持ちにはならない。妻の顔を見る時と同じように、当たり前の景色として受け入れている。

 

息子にミルクをあげることも、オムツを変えることも、自分にとっての「当たり前」になった。歯を磨いたり顔を洗うことと同じ感覚だ。たまに「面倒くさいな」と思うことも含めて、日常で行うルーティンと同じように息子の世話をしている。2ヶ月経って、ようやく3人の生活が「当たり前」になったのだ。

 

思い返すと自分の生活の「当たり前」が変わったタイミングは、何度かあった。

 

例えば大学入学してひとり暮らしを始めたタイミング。

 

家族が誰も居ない家や、小さくて狭い部屋に、最初は違和感を覚えた。家事も含めて家のことを自分が全てやることも、なかなか慣れなかった。そんなイレギュラーな日々を過ごしていくうちに、いつしかそれが当たり前になった。自由に生活できるひとり暮らしは、めちゃくちゃ楽しかった。

 

そんな当たり前な日々は、妻と一緒に暮らすようになり、大きく変わった。

 

自分と血の繋がりがない人と寝食を共にすることは、不思議な気持ちだった。でも、好きな人と一緒に過ごす時間が増えることは嬉しい。一緒に暮らすことで、今まで知らなかった妻の一面を知ることもできる。嫌な部分が目につくこともあったが、それも含めて2人暮らすことは幸せなことに思う。

 

いつしか夫婦で暮らすことが、自分にとっての「当たり前」になった。そんな日々は、ひとり暮らしの時よりも楽しくて幸せだった。

 

そして子どもが産まれ3人家族になった。そんな日々が2ヶ月続いたら、また自分の「当たり前」が変わった。

 

子どもは目まぐるしく成長する。身体はだいぶ大きくなったし、顔も変わった。様々な声を出すようになった。うんちの量も増えた。うんちはかなり臭くなった。強烈に臭くなった。親のうんちよりもたぶん臭い。そんな毎日の生活は、うんちの臭い同じぐらいに刺激的だ。

 

オムツを変えて、ミルクを飲ませ、寝かしつける。そんなルーティンではあるが、毎回新しい発見があるのだ。

 

子育てを通じて、妻の新しい一面も見れたりする。母親の顔になる妻の姿は新鮮だ。そんな日々は大変なことも多いし、しんどいと思う時もある。趣味を楽しむ時間も減った。ライブハウスにも映画館にもなかなか行けない。でも、めちゃくちゃ楽しい。

 

「当たり前」が変化する都度、楽しさや幸せの度合いは増大している。ひとり暮らしよりも夫婦で暮らす日々の方が楽しかったし、夫婦で暮らしていた時よりも、3人家族の方が幸せだ。

 

変化に対して怯えてしまう気持ちもあるが、自分は変化の都度「前よりも良いな」と思える生活になっている。それは自分の運が良かったのかもしれないし、必ずしも変化がプラスになるとは限らない。しかし変化は悪いことではないはずだとは思う。

 

これからも様々な変化があるだろう。「当たり前」が変わる日が、また来るかもしれない。でも「3人で暮らす当たり前」は、できる限り長く続いて欲しい。

 

この「当たり前」を自分は守り抜くために努めるし、この「当たり前」を息子が「最高だ」と思えるような家族を作っていきたい。