この子の未来にただラブソングを

むらたかもめの子育てブログ

息子が奇跡的に年越しできた

息子は産まれて初めての年越しを、ギャン泣きで迎えた。

 

自分は「年越しの瞬間に起きていたのは中学生の時が初めて」と思っていたが、もしかしたら自分も0歳児の時は年越しの瞬間に起きていて、ギャン泣きしていたのかもしれない。そんなことを息子の姿を見て思う。

 

11月10日に産まれて、約1ヶ月半弱。今のところは健康に元気に育っている。たったの1ヶ月半弱で身体は一回りぐらい大きくなったし、体重も1.3倍ほどになった。

 

ミルクを飲む量なんて、産まれた時の2倍だ。最初は1回につき60mlだったのに、今では120mlも飲んでいる。ちなみに吐き戻す量も2倍になった。ガーゼやヨダレ拭きの枚数が足りなくなってしまう。うんこの量と臭さも、2倍になった。

 

泣き声のバリエーションにいたっては2倍ところではない。最初は「えーん」「おぎゃー」だけだったのに、今では「うんぎゃ」「おおう」「うううう」「あんぎやぁ」「うへぇぇぇん」「あぁぁん」「ひぃぃぃ」「えぇぇい」「あ゛あ゛あ゛」などなど、めちゃくちゃバリエーションは増えた。最近は泣くと言うよりも呼ぶために声を出しているように見える時がある。少しずつ親のことを認識し、自我が芽生え始めているのだろうか。

 

子どもの成長を実感することは嬉しいが、それが当たり前ではないとも思う。

 

出産予定日に死産した方が書いた文章を、最近読んだ。そこには死産した日の描写や感情がリアルに書かれていて、胸が痛くなった。自分の職場には幼い子どもを無くした経験がある人が居ることを、最近知った。

 

決してその人たちと比べて自分が幸せだと言いたいわけではない。自分は運が良かったと安心したいわけでもない。

 

感情移入して悲しくなって、他人事ではないと実感し恐ろしくなったのだ。

 

新生児から乳児になり息子の成長は感じるが、まだ抱き上げたり身体を触ると、壊れてしまいそうなほど脆い。ちょっとしたことで怪我や病気になってしまいそうだし、少し目を離しただけでも簡単に死んでしまうかもしれない。産まれて来たことと、生き続けていることも、全てが奇跡なのだ。

 

年始になると「おめでとうございます」と挨拶する理由が、自分にはよく分からなかった。年が明けただけで、何がおめでたいのだろうか。

 

でも、ようやく理解できた。無事に新年を迎えて年を越せたことが素晴らしいことで、おめでたいことなのだ。無事に年を越せることは当たり前のことではない。奇跡だ。産まれて間もない息子だが、それでも無事に年を越せたことは嬉しいし安心している。こんな奇跡をこの子と一緒に、毎年迎えられたらと思う。

 

2023年。あけましておめでとうございます。