この子の未来にただラブソングを

むらたかもめの子育てブログ

息子が初めて祖父母に会った日

息子は産まれてからしばらく、祖父母に会うことができなかった。

 

コロナ禍のリスク回避だったり、体調面であったり、祖父母が遠方に住んでいたり、里帰り出産しなかったことなど、様々な事情で会うタイミングが合わなかったからだ。

 

息子が初めて祖父母に会ったのは、4月の終わりである。母方よりも先に父方の祖父母に会ったのだが、わざわざ新幹線で東京まで出てきて、こちらの最寄り駅まで来てくれて少し申し訳ない気持ちもになった。

 

でも久々に見た自分の両親は「こんな顔だっけ?」と思うほどに顔が緩んでいて、長旅の疲れを感じさせない表情だった。ずっと笑顔で声色も穏やかだ。自分が実家にいた時は、こんな雰囲気ではなかった気がする。

 

これは孫の力によって、そうなったのだろうか?

 

駅のカフェで少しだけお茶をした。息子は人見知りすることもなく、すぐに自分の祖父母に懐いたようだ。仕舞いには祖父に抱っこされながら寝てしまった。「初めて会った知らない奴に抱っこされても寝ちゃうんじゃ、簡単に誘拐されるよ」と言いつつも、自分の父は嬉しそうにしていた。

 

息子は変顔をしてあやす祖母を見て、ニヤニヤと笑ったりもしている。自宅から着てきた服にびっちょりと孫のヨダレがついてしまったのに、自分の母は気にも止めていなかった。

 

2人とも「おじいちゃん」と「おばあちゃん」になったのだろう。それは年をとって老けたルックスだけではなくて、内面を含めた何もかもがそうなったのだと思う。

 

これは決して両親をバカにしているわけではない。むしろそれが嬉しいし、安心しているのだ。自分の両親のそんな姿を見れたことや、そんな姿になってくれたことが。

 

これも孫の力によって、そうなったのだろうか?

 

自分は両親とそれほど仲が良いわけではない。思春期の頃はそれなりに衝突したし、思春期をすぎてからも衝突した。ひたすらに衝突ばかりだ。尊敬や感謝がないわけではないけれど、反面教師にしている部分の方が多い。

 

だから今では衝突をしないように避けている部分もあって、あまり会う気にはなれず実家にはほとんど行かなかった。両親と会うのはこの日が5年ぶりだろうか。子どもが産まれなければ、会おうとは思わなかっただろう。

 

この日、自分は少しだけ、息子の顔に戻った気もした。「親孝行ができたかな」と少しだけ思った。子どもが産まれなければ、自分がそんな気持ちになることはなかっただろう。むしろ「親孝行なんてクソ喰らえ」ぐらいに思っていたのだから。

 

それなのに君の父は息子が産まれたことによって、君の祖父母の前で息子になることができた。

 

これも孫の力によって、そうなったのだろう。

 

カフェでお茶をした後に、西松屋へ行った。祖父母は大量の子供服と立派なベビーカーを買ってくれた。孫のために大金を貢いでくれた。

 

これも孫の力だろうか?