この子の未来にただラブソングを

むらたかもめの子育てブログ

名前をつけてやる

名前をつけてやる。本気で考えちゃった。

 

そう意気込んだものの、なかなか手につかない。「本当に大丈夫だろうか?」と考え込んでしまう。たった1枚の紙切れに、たった数文字を書くだけなのに。

 

とりあえず〈子の氏名〉以外の書ける部分を、書き終えてみた。深呼吸して〈子の氏名〉も書こうとするが、やはり手が震えて書くことができない。

 

「出生届」を役所に提出することの重大さと責任の大きさを、いざ自分が体験することになり実感した。

 

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子どもは自らの意思や希望により産まれるわけではない。親の「子どもが欲しい」という欲望か、避妊の失敗によって産まれる。「授かり物」なんて表現は綺麗事だし、コウノトリが運んでくることもない。子どもは親の都合で作られ生まれる。キラキラした考えで有耶無耶にせず、それを親になる人間は自覚すべきに思う。

 

名前もそうだ。「親から子どもへの最初のプレゼント」と表現されることも多いが、これも親目線の無邪気すぎる考えだ。

 

もちろん「最初のプレゼント」という考えは間違いではない。子ども自身がプレゼントとして受け取り感謝していることも多いだろう。しかしどれだけ親が愛を込めて名付けたとしても、物心ついた子どもが自身の名前を気に入らず、そのせいで親を恨む可能性もある。名付けは「親から子どもへの最初の呪い」にもなり得るのだ。

 

だからこそ、慎重に名付けなければならない。愛を込めるだけでなく、周囲からどう思われるかや、周囲から悪い意味で浮く名前にならないか、などなどを考えなければならない。

 

自分たち夫婦は姓名判断で良い格数を調べ、その中から名前の響きや漢字の美しさなど、様々なことを考慮しながら決めた。

 

男女関係なく使える名前にすることも意識した。もしかしたら本人の希望で、性別を変えたいと思う時が来るかもしれないからだ。その時に名前は変えなくて済むようにしたかったし、どんな境遇になっても気に入ってもらえる名前をつけたかった。

 

親目線だととても良い名前を見つけられたと思う。周囲の人からも「良い名前だね」と言ってもらえる。

 

しかしだ。実際に名付けられる君が気にいるかはわからない。それは将来の君だけが判断できることだ。できる限りの愛を込めたうえで、神と自分を信じるしかないギャンブルだ。やはり親になるということは、物凄い責任を背負うことだ。今後も自らが背負っているものの重さを実感する出来事が、何度も訪れることだろう。

 

覚悟を決めて〈子の氏名〉の欄に、夫婦で決めた名前を、丁寧に書いた。ほんの少しの不安は拭えないが、やはり良い名前だとは思う。

 

役所への提出は、あっという間に終わった。職員にとっては簡単な事務作業のひとつかもしれない。でも窓口の職員さんが「おめでとうございます。良い名前ですね」と言ってくれた。仮に多数決で良し悪しが決まるのだとしたら、今のところ君の名前は、めちゃくちゃ良い名前だ。

 

どうかこの名前が大人になった時の君に、誰よりも立派で誰よりもバカみたいな素敵な名前だと、思ってもらえますように。